国家の命運を占った時代
呂神・大陽・陰主は、六壬式占でいえば・・・
呂神は大歳の元使の功曹陶大陽・陰主は、人の命運を主る北斗の首尾にあたる天岡・河魁に相当し、六壬と同様の性格が与えられていたのでしょう。
これにより、従来その形態が不明であった太一式盤は、地盤は六壬式盤と同様で、天盤は、太一十六神が刻されたものであったと考えてよいことになります。
『二中歴』や『陰陽雑書』などにみえる太一定分厄は、こうして求められた結果を、生まれ歳ごとに配列し直したものです。
・・・これをみれば、一般の人でも厄年にあたるかどうかわかります。
この説は、院政期あるいは少し遅れて鎌倉時代以後行なわれるようになったようですね。
鎌倉時代には宿曜師が勘申していますが、のち陰陽師も扱うようになりました。
かつて日本では、天上の星たちが織りなす交様を判断材料にして国家の命運を占う時代がありました。